日本のシンガーソングライターとして、
数々の名曲を生み出してきた米津玄師さん。
米津玄師さんの「Lemon」という曲は、
紅白にも出演し、とても有名です。
国民的にもとても有名な米津玄師さんですが、
有名になるまでの生い立ちは、
よく知らないという方が多いです。
そこで今回は、
米津玄師さんの生い立ちについて
詳しくまとめていきます!
米津玄師の経歴・生い立ちは?
米津玄師さんには、
ボカロで作曲活動をしていた過去があり、
その後に歌手となったのは有名な話ですよね。
歌手としてデビューしてから
- 紅白出場
- 数々の曲でオリコン1位
- カラオケの歴代連続1位獲得週数達成
などといった、
数々の素晴らしい功績を残しています。
また、米津玄師さんの作る楽曲は
唯一無二の独特な世界観があり、
魅力的ですよね!
そんな日本TOPのアーティストとなった
米津玄師さんの生い立ちを追っていきます。
1991年:米津玄師誕生!出身や育ちは?
米津玄師さんの出身は徳島県徳島市で、
1991年に誕生しています。
米津玄師さんは高身長で188cmも身長がありますが、
生まれた頃から体重が4500gもあったそうです。
新生児の体重の平均は2900gなので、
かなり大きい赤ちゃんだったことが分かりますね!
また、「米津玄師」という活動名ですが、
これは本名だそうです。
今更なんですが、米津玄師の本名が米津玄師っていうのにびっくりしてた。 pic.twitter.com/9HhgIWed8P
— Sniff&Co. hag (@sniffandhag) November 1, 2019
現在では削除されているのですが、
以前に米津玄師さん自身が上記の免許証を公開していました。
米津玄師って本名だったんだぁ pic.twitter.com/ZUZgrkdGBr
— みうらぁー! (@rumru_) March 10, 2017
「米津玄師」という名前が本名であることについて、
驚く方も多いようですね!
1998年頃:幼少期は引きこもりの生活
米津玄師さんが7歳の頃の話ですが、
引きこもりのような生活をしていたそうです。
友人どころか家族とも全く話さない状態で、
幼少期は父親ともかなりの不仲でした。
また、普段は一人でひたすら絵を書いたり、
妄想のキャラクターの話をしていたとのことです。
なんだか、アーティストの幼少期という感じですよね。笑
しかしこの頃は、音楽に興味はなく、
将来の夢は漫画家だったそうです。
音楽はいつから始めたのでしょうか?
2004年:中学時代にバンドを結成!音楽人生のスタート!
米津玄師さんが中学生だった時代に
バンドを結成したのがきっかけで、
米津玄師さんの音楽人生がスタートします。
「バンドマンが格好良い」という理由だけで
米津玄師さんは仲の良い人たちとバンドを始めました。
しかし普通の学生バンドマンと違うのが、
文化祭ではオリジナル曲を披露するなど、
その頃から才能があった活動をしていたそうです。
学生でバンドを組んだら、
カバー曲を披露するのが普通ですよね。笑
最終的にはバンドは、メンバーとの
温度差の違いで活動休止となってしまったそうです。
2005年〜2007年頃:中学、高校時代にボーカロイドで作曲をしまくる!
バンドが活動休止してから米津玄師さんは
投稿サイトのニコニコ動画に出会いました。
そこで流行っていたボーカロイドという
作曲方法を米津玄師さんはこのタイミングで知ったとのことです。
ボーカロイドとは音声合成技術で、自分の作った曲をボーカル音源に歌わせることができるソフトのこと。
ボカロとも呼ばれ、作曲できる才能があっても歌えない人に向けて開発されたものである。
米津玄師さんは、このボカロを使って、
自分で作曲した曲を動画として投稿し始めました。
活動休止したとはいえ、
仲が良かったバンド仲間の協力もあったそうです。
2008年〜2009年:ボカロP・ハチの名前で作曲活動を開始。
ニコニコ動画への投稿活動を、
「ボカロPのハチ」として本気で始めます。
そこで「マトリョシカ」などを筆頭に
ハチとしての様々な曲が大ヒットしました!
現在の米津玄師さんの人気と比べれば、
見劣りしますが、十分に凄いことでした。
こちらが、ヒット曲の「マトリョシカ」です。
マトリョシカは、
「考え過ぎ」というのがテーマとなっており、
ハチ時代では一番人気だった曲です。
またこちらは、「パンダヒーロー」という
社会の闇や麻薬についてを歌っている楽曲です。
以下の曲は、「ドーナツホール」という楽曲で、
心にポッカリと空いた穴について歌っています。
そして下記の楽曲が、「砂の惑星」という曲です。
マトリョシカと並ぶほどのヒット曲でした。
ボカロのキャラクターの初音ミクが
砂の惑星を旅をするという不思議な世界線の曲になっています。
2012年:「米津玄師」として活動開始!音楽業界に革命を起こす!
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2012年から、本名の「米津玄師」として
活動することになります。
ハチの活動名が米津玄師に変わったのは、
良い曲を作ってもファンがなかなか増えなかったからとのことで、
本名で活動することにしたのも、
米津玄師さんの覚悟が感じられます。
また、初音ミクに歌ってもらうのではなく、
ここからは自身の歌で、楽曲をリリースすることとなりました。
本名の公開と同時に、
年齢・性別・顔の公開もしました。
2012年に米津玄師さんが出した
1st Album「diorama」は
オリコンチャートでは最高6位を達成しました。
ファーストアルバムで、
これだけヒットするのは素晴らしいですよね!
アレンジ・歌唱・PV作成なども、
全て米津玄師さんが自分で行った作品となっています。
また、PVで出てくる絵も米津玄師さんが、
1から手書きで描いたそうです。
幼少期に漫画家を目指していた影響から
絵に挑戦してみたいと思ったと
本人が語っているのですが、
アルバム1枚を完全に自分で作り上げたのは
本当に凄いことですよね!
2015年:米津玄師自身が高機能自閉症であることを公表
2015年、米津玄師さんが20歳になった時に
自身が高機能自閉症である事実を公表しました。
高機能自閉症と診断されるのは、
コミュニケーションが極めて苦手な人な傾向にあります。
米津玄師さんは幼少期の頃に、
家族とも話せなかったというのも、
この病気のせいだったのでしょう。
しかし高機能自閉症の人は、
特定のことにこだわるという特徴を持っていて
芸術界で、天才と言われる人の多くの方は
高機能自閉症を患っている人が多いです。
米津玄師さんも例外ではなく、
音楽にこだわった生き方をしています。
米津玄師はまぎれもない天才の部類に
当てはまる人ですよね!
2017年:ドラマやアニメのタイアップで爆発的に人気を伸ばす!
米津玄師さんをアニメやドラマが
きっかけで知ったという方も多いと思います。
2017年は、アニメのタイアップをたくさんした年で
米津玄師さんの楽曲がいくつかのヒットアニメの主題歌になりました。
これがきっかけで一段と人気が
伸びたことは間違いないと思います。
2017年にアニメのタイアップがあった、
米津玄師さんの楽曲を紹介していきます!
2017年のタイアップ曲①:ピースサイン
まずは、大ヒットアニメ「僕のヒーローアカデミア」の
主題歌になった「ピースサイン」という楽曲です。
凄くかっこ良い曲なので、
以下の動画で聴いてみてください!
いかがでしたか?
聴いたことがあったという方も多いのではないでしょうか?
ピースサインは、カラオケでも
歌唱数が多い曲ランキングの上位に入ってくる曲です。
2016年のタイアップ曲①:orion
こちらは、TVアニメ「3月ライオン」に
提供された楽曲で、「orion」という曲です。
落ち着いた雰囲気の曲なのに
かっこ良いという米津玄師さんならではの
雰囲気の楽曲となっています!
2018年:伝説の1曲「Lemon」を発売!紅白の出場も!
そして2018年、米津玄師さんは
革命の一曲をリリースします。
この曲は米津玄師さんの持つ様々な楽曲の中でも、
最も有名な曲と言っても良い曲でしょう。
それが、「Lemon」です。
「Lemon」の楽曲は、
死んだ祖父を弔う為に作曲したそうです。
Lemonの人気は凄まじいもので、
この楽曲の絶大的な人気の影響で、
米津玄師さんは紅白に出演することにもなりました。
紅白に米津玄師様降臨した…#紅白 #米津玄師 pic.twitter.com/ojH1olVubQ
— ましゅまろ® (@_____arajun) December 31, 2019
上記が紅白に出演された時の様子ですが、
なんとも神々しい雰囲気の演出でしたね。笑
2019年:嵐やFoorinに楽曲提供!制作の裏方としても活躍!
そして翌年の2019年。
米津玄師さんは紅白への出演はなかったのですが、
米津玄師さんが提供した楽曲が、
2曲も紅白に出演するまでの人気を呼びました。
米津玄師が楽曲を提供したのは
「嵐」と「Foorin」の2つのグループでした。
それぞれグループのイメージにあった曲で、
米津玄師さんの提供だと知られていなくても
曲自体が有名になりました。
それぞれの楽曲をご紹介します。
2019年の楽曲提供曲①:カイト
米津玄師さんが、
大人気ジャニーズグループの嵐に提供した
楽曲が「カイト」という曲です。
大人が子供の頃を思い出すというのが、
カイトという楽曲のテーマとなっています。
紅白での演出なども含めて、
相当な話題となった楽曲でした。
2019年の楽曲提供曲②:パプリカ
米津玄師さんがFoorinに提供した
楽曲が「パプリカ」という曲です。
こちらの曲も相当なヒット曲となっており、
米津玄師さんの独特な世界観と
Foorinの子供らしい歌とダンスが合わさって最高の作品になりました。
楽曲自体は「無邪気な子供」がテーマとなっているようです。
米津玄師の生い立ちに対する世間の反応は?
米津玄師さんは病気を抱えながらも
今では国民的なアーティストと言って良い存在になっています。
この生い立ちについて世間では、
どのような反応があるのでしょうか?
ここからは世間の反応に、
注目して見ていこうと思います!
これは公言されているので有名な話だと思うけど
米津玄師さんは高機能自閉症だと診断されているそうです
まあようするに発達障害って事
簡単に説明するなら知的障害が無いタイプの発達障害
これ何度も言っているけど
発達障害者しか天才には成れないと俺は確信しているよ
— 見習いコピーライター@創作全般 (@DH53692102) October 13, 2020
世界の偉人でも高機能自閉症と
診断されている人は多いらしいです。
天才は紙一重と言いますよね!
米津玄師さんの生い立ちは興味あるな。
— HazardLamp (@hazardlamp) September 13, 2015
米津玄師さんは内面的にも外面的にも
素顔を隠しているので、生い立ちに興味があるという人は多いのだと思います。
米津玄師さんの生い立ちを知って、ますますファンの一人として彼が好きになった。
— わえ .。oO(慣性の法則。天は自ら助くる者を助く。) (@waewae_1) May 26, 2018
米津玄師さんは天才的な面が多いですので、
生い立ちを知りたいという人は多いですし、
生い立ちを知って更にに
熱狂的なファンになったという人も多いです。
米津玄師さんは、
とても魅力的なアーティストですよね!
まとめ
いかがでしたか?
今回は米津玄師さんの生い立ちについて
詳しくまとめていきました。
中学生の頃から音楽活動を始めていた
というのは、意外と一般的でしたよね!
才能だけではなく努力もあっての上で、
米津玄師さんの現在の活躍に至るのだと分かりました。
米津玄師さんについては
今後も注目していこうと思います!
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