プロ野球選手として、
かなり長く活躍をしている坂本勇人さん。
坂本勇人さんの攻めの野球は凄まじいもので、
テレビで見ていても、緊張感が伝わってきます。
そんな坂本勇人さんですが、
母親が亡くなる一ヶ月前に
ホームランを捧げたという話はご存知でしょうか?
坂本勇人さんと母親のエピソードには、
かなり感動的なストーリーがいくつもあります。
そこで今回は、
坂本勇人さんの母親について
詳しくまとめていきます!
目次
坂本勇人の母親はどんな人?
今では遊撃手として有名な坂本勇人さんですが、
親の影響で始めた野球が、
幼少期の頃は好きではなかったそうです。
しかし毎日送り迎えしてくれる
母親の期待がプレッシャーになって
野球を辞めたいと言い出せなかったと話していました。
そんな坂本勇人さんを野球の世界に連れ込んだ
母親は、どのような人だったのでしょうか?
坂本勇人さんは自身が特集されてい記事の
インタビューで厳しい母親だったと話していました。
実際に厳しい母親だったかは分かりませんが、
坂本勇人さんが野球を辞めると
宣言できないほどには厳しかったのでしょう。
名前などの個人情報については、
公式としての発表はないですが、
「松村輝美」という名前だと言われています。
松村輝美さんは坂本勇人さん子供の頃に
目立つ存在だったようで、
少年野球の会計係を仕事としていたそうです。
また、黒いベンツで坂本勇人さんの
送り迎えをしていたほど、
松村輝美さんは豪快な性格だと言われています。
あくまで噂ですが、
黒のベンツが本当だとしたら、驚きですね。笑
坂本勇人の母親は既に亡くなっている!?
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ここまで紹介してきた
坂本勇人さんの母親ですが、
実は既に亡くなっています。
坂本勇人さんの野球ファンの間では
非常に有名な話です。
坂本勇人さんがプロ野球1年目の
出来事だったのですが、
母親の小腸に癌が見つかりました。
坂本勇人さんとしては野球に集中したい一年目に
この悲報は本当に辛かったと思います。
しかし、そんな坂本勇人さんと母親の間に
とても感動的な話が2つほどあるので、ご紹介します。
坂本勇人が母親に捧げたホームランが感動的すぎる!
坂本勇人さんの母親は、癌が見つかった時には、
余命宣告までされるほど癌が進行しており、
既に手遅れだったそうです。
それを知った坂本勇人さんは、
母親に今までの感謝を込めて、
試合に招待しました。
もちろん坂本勇人さんは入団したばかりで、
一軍での試合ではないですが、
「母親にホームランを捧げる」と言ったそうです。
メジャーリーグでよく聞くような約束ですが、
実際に達成する人はかなり少ないものです。
しかし、その試合で坂本勇人さんは
第一打席でホームランを打ちました。
これに対して、母親は
涙を流して喜んだそうです。
とても感動的な話ですよね。
ここぞという場面で、
しっかり結果を出すのは
さすがは坂本勇人選手と言えます。
母の一言で野球人生が変わった?
坂本勇人さんはプロ野球に入ってから
バットを左でも右でも打てるという
スタイルで活躍していました。
しかし当時、田中将大さんの球が
左だとどうしても全く打てなかったそうです。
毎回、田中将大さんと対決するとなると、
左で挑んで、打てずに落ち込んでいたそうです。
その中で坂本勇人さんの親が癌で
余命宣告されるなどと、
精神的にも野球が楽しくなかったと話していました。
そんな時に母親から、
こんな一言をもらったそうです。
左がダメなら右でしてみたら?
落ち込んでたって仕方ないでしょ。
やるだけやって、ダメなら次の方法考えたらいいじゃない。
ただ左から右に変えるだけですが、
当時の坂本勇人さんからすると、
「自分には左では打てない」と認めることと考えていたそうです。
しかし坂本勇人さんの母親は
それを全否定した提案を出してきたわけなんですね。
坂本勇人さんは物事を
楽観的に見れる母親の一言に救われたそうです。
その後、坂本勇人さんは右で田中将大選手に挑み、
見事に田中将大選手の球を打つことができました。
坂本勇人さんの母親の一言が無ければ、
もしかしたら今の坂本勇人さんの活躍は
無かったかもしれませんね!
坂本勇人が母親の命日に毎年していることとは?
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坂本勇人さんは母親へ親孝行をしたいと
毎年、命日にあることをしています。
それが、命日である6月19日の試合の登場曲を
G2の「LETTER~おかんに贈る音の手紙~」
の曲にしているということです。
命日のみ、母親へ贈る曲を
登場曲にしているというのは
本当に素敵ですよね。
これについては坂本勇人さん本人も、
「かなり些細かもしれませんが、
曲はこだわって選びました。」
と話しています。
親への愛が感じられますね。
坂本勇人の母親に対する世間の反応は?
ここまで坂本勇人さんと母親の
感動秘話を中心にご紹介してきましたが、
世間ではどのような反応があるのでしょうか?
ここからは、世間の反応に
注目していこうと思います!
【坂本勇人 母に見せたかった2000安打 】
お母さんに対しての感謝の気持ちを今は伝えられないので、常に感謝の気持ちを持っている。
厳しい母親だった。
掃除機で “布団から出てこいー”ってやられてw
負けん気の強い人だなと子供ながら思っていた。#シューイチ#ジャイアンツ #giants #坂本勇人 pic.twitter.com/6It0UQkDWt— おいコー🌟55 (2nd垢) (@Victory_Cyclone) December 6, 2020
厳しくても愛のある母親だったと思います。
坂本勇人さんの母親もこれまでの
努力を身近で見ているので、
2000安打を見たかったことでしょう。
カープファンだけど、坂本勇人の母親との話は泣けるなぁ。
何度聞いても泣いてしまう😭その話があるから余計に2000本おめでとう!と言いたい。#坂本勇人
— こうすけ バリバリバリ👊 (@KOSUKE031211009) November 8, 2020
野球ファンの多くは
坂本勇人さんと母親のエピソードを
知っているほど有名です。
それほど感動的な話だというのが
分かりますよね!
坂本勇人の母親はこれだけ坂本が偉大な打者になったことを知らないなんて
— 東京虎党よしあ【糸井嘉男応援】 (@TsuyoiTigers) November 9, 2020
坂本勇人さんは昔は、
「プロ野球では活躍できない」
と言われていたそうです。
今では考えられないですよね。
しかし、坂本勇人さんの母親は
坂本勇人さんが日本を代表する選手になることを
以前から信じていたのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたか?
今回は坂本勇人さんと母親のエピソードを
中心にご紹介してきました。
何度聞いても感動できるようなエピソードですよね。
坂本勇人さんについては
以下の記事でも詳しく解説していますので、
ぜひ、見てみてください!
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